Natsume's Blog

日々思ったこと、感じたこと、徒然なるままに。 人生最後は笑ったもの勝ち。

 

 

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2006
02/26
伊豆旅行
一泊旅行で伊豆に行きました。
フラっと行くような、ゆるーい感じで。

いちご
いちご狩りしました。おいしい。

みかん
みかん狩りしました。おいしい。

ひもの
ひもの食べました。おいしい。

夕食
宿の食事。適量でおいしい。
この後地酒をがぶがぶ飲み、かなり酔っ払う。

食べ物ばっかりになってしまったので、こちら。
ビルおじさん
動かない鳥で有名な
ハシビロコウ。めったに遭遇できないので、かなりレア。
なにげに嬉しかった。

他にも色々。
楽しい伊豆旅行でした。


食べてばっかりでした。
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2006
02/06
タイ・カンボジア旅行記-9 ~カンボジアという国~
シェムリアップの街で喉が渇いたので、数少ないコンビニに入りジュースを買って外で飲んでいた。
そこで一人の少年が近づいてきた。黒く、砂埃まみれの少年だった。
少年は小さな声で何か言いながら我々に手を出した。
おそらく「お金をください」と言ったのであろう。私たちは無視をした。
ガイドから貰った紙に「お金はあげないでください。ほとんどが演技だからです」と書いてあったからだ。
それにあげていたらキリがない。
しかし少年はずっと小さな声で何か言いながら、差し出した手を引っ込めることはなかった。
私たちはジュースを飲み続けた。

ジュースが残り1本になり、それがふた口程度になったとき、誰かが「残りあげちゃおうか」
といい、残り少ないジュースを少年に渡した。
少年はうれしそうに、それを受け取った。大事に大事に少しだけ飲んだ。
とたんに少年の周りに、小さな子供が集まった。
多分、ちょっとづつまわし飲みをするのだろう。
少年は、笑顔だった。

ジュースを受け取った少年は、片足がなかった。

少年は片足を何で失ったのだろうか?
生まれつきなかったのか?
病気で失ったのか?
交通事故で失ったのか?

違う、答えはわかっている。

少年は地雷で片足を失ったのだ。


カンボジアに行きたかった理由はもちろんアンコールワットが見たかったから。
だけどそれ以外にも理由があった。

まだまだ発展途上の、何もかもが整備されてるとは言えないところに行きたかった。
体験しないといけないと思った。知らなければいけないと思った。
一日一日、過ぎていく時間は同じでも、普段の私の生活からは想像できないようなくらしをして、それが当たり前になってるところなんて沢山ある。
そういうところを、知りたかった。


シェムリアップの中心地の道は今日も元気だ。
鳴り止まないクラクション、古い日本車、爆走する車、窓のない車、4人乗りのバイク、ノーヘル、ナンバーなし、人が溢れるほど乗っているトラック、客を乗せるバイクタクシー、フルーツや食べ物を売る出店、客待ちするトゥクトゥク・・・
4人乗りしてます トゥクトゥク

まるで、戦後の日本のようだ。
ごちゃごちゃしてて、中途半端で、活気に満ちてて、パワフルだ。

「この道は日本の人たちからの寄付でできました。この道のおかげで、首都プノンペンまでの道のりが丸一日以上かかっていたのが、5時間で着くようになりました。雨季には道が水で沈んでしまって走行できませんでした。便利になりました。本当にありがとう」
ガイドの人はそういった。

舗装された道は快適だった。
私たちの税金がここに使われたと思うと、誇りに思った。うれしく思った。

しかし、少しシェムリアップから離れると、あっという間に舗装されている道は終わる。
シェムリアップから40キロ、クバルス・ピアン遺跡へ向かっているときだ。
人がたくさん

コンクリートの道が終わると、あっという間に砂埃に包まれる道になった。
まるでパリダカのような砂埃。車体はかなり揺れた。車内まで砂埃っぽくなった。
現地の人はこの砂埃の中、トラックの荷台に何人も乗って爆走していた。
砂埃ですれ違う人々の表情も良く見えなかった。

それでもここはまだ車が走る。ここはまだいいほう。
雨季になると沈む道がたくさんある。

それがカンボジアだ。

遺跡の説明中に必ず一度は出てくる「ポルポト時代に破壊されました」という言葉。
ガイドは口癖のように「本当に勿体無いです」と何度も言った。

本当は天井があったはずの、柱だけ残った遺跡たち。
柱だけの遺跡

首をスパッと切られた仏像たち。
首を斬られた遺跡

崩壊したままの遺跡たち。
崩壊した遺跡 内戦の爪跡
内戦の爪跡は、まだあちこちに色濃く残っている。

赤いラインより先は、地雷撤去が終わってないから、入るな、という印。
赤い印

ふいに、片足のないあの少年を思い出す。

有名な遺跡の前には、カンボジアの人が数人集まって民族楽器を使いながら音楽を奏でていた。
遺跡の前には必ずこういう人たちが居た。
彼らは全員男性で、そのほとんどが足を失っている人たちだった。
「昔は兵隊だったけど、地雷で足を失って、今はああやって観光客からお金を貰って生活してるんです」と説明された。
手に持っているものが、拳銃から楽器に変わった。失ったものは足だった。
彼らはニコリと笑いもせず、ただ楽器を演奏する。
そして演奏しながら観光客をじーっと見る。
観光客が通り過ぎると音楽をやめる。そして次の観光客を待つ。
貰ったお金で昼食を食べ、また演奏を始める。
そうやって毎日を過ごしている。昔はきっと内戦の最前線で戦っていたに違いない。

何度か、現地の人が暮らしている道を通った。
ここは電気もガスも通っていない。
地面から高い位置に作られた家は、家の下の部分は乾季は日陰となり、いい昼寝の場所となる。
カンボジアの家
しかし、雨季になるとあそこまで水が溜まるのだ。

車から降りると物売りの小さな少女たちが寄ってくる。
少女たちは世界中から来る観光客の顔を見るだけで国籍がわかる。
私は同じアジア系の顔にもかかわらず中国人にも、韓国人にも見られず、驚くほど流暢な日本語で「3個で1ドル」と言われた。
少女たちは母国語はもちろん、日本語、英語、多分韓国語や中国語も話すだろう。
私は6年間も英語を学んで、全然話せない。

少女たちは、まだ日本でいうと小学生低学年だ。
それなのに流暢に日本語や英語を話す。

それが、少女たちが生きていくために必要だから。

だけど、少女たちはきっと文字は読めない。
教育が受けられないからだ。
立ち入り禁止の看板の文字が読めなくて地雷を踏んでしまう子供が後を絶たない。

また、片足のないあの少年を思い出す。
彼は文字を読めたのだろうか?


この国は、ある世代の男性の人数が極端に少ない。
みんな、内戦で死んでいったから。

この国は、ある世代の人々はフランス語が話せる。
フランスの、植民地の時代があったからだ。

この国は、16歳までの子供なら誰でも無料で診断できる病院がある。
それが、必要な国だから。
でも、その病院にたどり着けない子供も、沢山いる。

この国はポルポト時代、一説によると200万人、国民の1/3に当たる人数が
大虐殺にあった。

みんな死んでいった。

ポルポト時代は今から20~30年前のこと。
決して、大昔の話なんかじゃない。
私が産声を上げたとき、この国は内戦の真っ只中だった。

私が病院のぬくもりのあるベットの上ですやすや眠っているときに
同じ日、同じ時間帯にカンボジアで生まれた子は、どんな境遇だったのだろう。

そこにベットはありましたか?
毛布、タオルはありましたか?
医療設備は整ってましたか?
医者は居ましたか?
ミルクはありましたか?

幸せでしたか?

今、生きていますか―?
空に向かって何を思う?


私は数パーセント確率で豊かな国に生まれた。
彼らは数十パーセントの確率で豊かとはいえない国に生まれた。

それだけ。たったそれだけのこと。

私の瞳は色んなものを見てきた。でも本当のものはまだ見てきていない。
だって今回、私は「旅行者」としてしか見てきてないから。
それでも、たくさんのことを見てきた。

ある街の少年。
彼の瞳には何が映っているのだろう。何を映し続けてきただろう。
その瞳は何を思う?


かわらないもの。人々を平等に照らしてくれるもの。
この美しい朝日が、カンボジアの空をこれからも照らし続けてくれますように。
願い

そう願わずにはいられない。
2006
02/05
タイ・カンボジア旅行記-8
1/9(月) バンコク ― 日本

朝早く起きて、チェックアウトの準備。
昨夜寝たのが3時ごろだったので、ほとんど寝てない状態でかなり眠い。

先にチェックアウトし、ホテルの朝食をとって、迎えの車に乗ってバンコク国際空港へ。

各種手続き、最後にちょっとだけお土産を買って
TG 676便 日本へと戻ったのでした。

さすがにほとんど寝てないだけあって、飛行機の中では寝ることが多かった。
タイ国際航空は今まで乗った飛行機の中で一番座席が広かったので、眠るには最適な座席でした。
結局、配られたイヤホンの袋は一度もあけなかった。
食べるか、飲むか、なにか読むか、ボーっとしながらこの旅行を振り返るか、寝るか。
7時間のフライトはそんなことをしながら終えたのでした。

夕方、日本に到着。
真夏から真冬に一気に戻ってきた。
さすがに寒い。
各種手続きを終えて

「お疲れ様でした」

帰りはバスとタクシーでウトウトしながら帰ってきたのでした。

こうして私のタイ・カンボジア旅行は終えたのでした。
 
 
 
タイ・カンボジアが、こんなに刺激的で魅力的なところだとは思わなかった。
一気に自分の興味がアジアに向けられた。
日本と同じアジアというくくりだけれども
街も、人も、食べ物も、価値観も、気候も、歴史も、文化も全てが違う。
毎日が驚きの連続だった。毎日が刺激的だった。
恐ろしいほどあっという間の8日間だった。まるで幻のように思える。


でも確かに、私はあの場に立っていたんだ。
真っ先に思い出すのは青い空。

またあの青い空が見たい。
2006
02/04
タイ・カンボジア旅行記-7
1/8(日) シェムリアップ ― バンコク

今日はカンボジア最終日。
飛行機は夜なので、それまではじっくり観光が出来る。
荷物の準備をして、ホテルをチェックアウト。
3日間お世話になったアンコールホテルは、なかなかいいホテルでした。
アンコールホテル
冷蔵庫の効きが悪かったりもしたけど、カンボジアという土地を考えれば総合的には悪くないホテルだった。
入り口にヤモリが沢山いたりして、ヤモリは嫌いじゃないし「家の神様」って言われてるぐらいだから、なんとなくいいイメージだった。

ホテルを出て迎えの車に乗って、今日はアンコール遺跡ではかなり離れた場所にあるクバルス・ピアン(水中寺院)へと向かう。

昨日のバンテアス・スレイから更に車で30分ほど。
あまり舗装されていない道を、砂煙を立てながらありえんほどの速度でドライバーはかっ飛ばしていた。

1時間半ぐらいで到着。クバルス・ピアンは川底に残り、川の流れの中に浮かぶ珍しい遺跡群のため、その川の場所まで歩いていかないといけない。
そしてこれが、山道。歩くというかトレッキングに近い。
かなりハード。
しかもそれまでのガイドのソファンじゃなくて最終日だけ違うガイドだったこいつが、まったくガイドしない、日本語がわからない、言ってる意味がわからない、というものすごくいい加減なやつ。
こいつの歩くスピードが異様に早い。
ガイド本には「1時間近く歩きます」なんて書いてあったのに、10分ぐらいの休憩をはさんでも、40分ぐらいで到着してしまった。

こっちは普段全然運動してない身だから、結構辛いんだよ!と心で文句を言いながら
クバルス・ピアンの遺跡を見て驚愕。

正直、しょぼい。

水中寺院なんていうもんだから、どれだけすごいかと思ったら
ただ河の中に小さな遺跡が沈んでるだけ。
クバスル・スピン1 クバスル・スピン2

しかもほんの数年前に遺跡が盗まれてしまったらしく、遺跡というより
「ちょっと彫刻した岩が河の中に沈んでます」状態。
ものすごい期待外れだった・・・。

なんだったんだろう。カンボジアまで来てトレッキングしてこれかぁ・・・と思いながら
なんか綺麗なちょっとした滝も見れたし、登山は嫌いじゃないし、それなりに気持ちよかったからよしとしますか。
滝

下山して、おやつ代わりにちょっと変わったカンボジアのものを食べた。
バナナともち米みたいなものを混ぜて、葉っぱに包んで焼いた、カンボジアの一般的なお菓子みたいなもの。
食べたら私は結構いける!バナナのほのかな甘みと、ちょっとおこげっぽくなってるもち米が意外とおいしい!!と思った。
が、イマイチそうな感想もちらほら。好みが分かれる味かなぁ。私はもう一度食べたいと思った。

車で戻って、昼食。昨日のバンテアス・スレイの近くのレストランで食事をした。
カンボジアの料理は、連日こんな感じ。炒め物が多い。
カンボジア料理

食事を終え、ここからはフリータイムになる。
ガイドにやたら湖を勧められたけど、もう全員このガイドのことを嫌に思ってたし、特に湖にも興味がなかったので
オールドマーケットへと行く。
ここは現地の人も利用するマーケットで、生鮮市場や民芸品、みやげ物から家電や靴など沢山のものが売っている。
値段は全て交渉制でバンコクのナイトバザールのような場所だ。
オールドマーケット
果物なんかも売ってる。

こういう場所はやっぱり楽しい。見てるだけでワクワクする。そしてすごく安かった。
ちょっと交渉しただけで、初めに言った値の1/2ぐらいまですぐ下がる。15ドルが3ドルぐらいになったりする。
値段はあってないようなもの。でもこれが楽しい。
お土産をちょこちょこ買いながら、オールドマーケットという場所を楽しんだ。

車でホテルに戻り、次のピックアップまでの時間があいてしまった。
またホテルの周りをぶらつく。
オールドマーケットとは違うマーケットを発見し、こちらは人も少なくゆっくり見て回れる。
ここでもちょこっと買い物して、コンビニでお菓子やらアイスを買って、食べながらホテルに戻る。
途中、建設中の高級ホテルが沢山あって、これからまだまだこの都市は大きくなるんだなぁ、と感じる。

ホテルで再びピックアップのはずが、時間になっても例のガイドがやってこない。
あいつは最後まで人に迷惑かけやがって!!と憤慨しながら、30分遅れてガイドがやってくる。
何かしら連絡入れろよ!思いながら「なんで遅れたんですか?」と聞くと、「事故ですー」と言われた。
なんでも午前中ありえんほどかっ飛ばしていた例のドライバーが事故ったらしい。そりゃそうだ。あれだけ飛ばしてるんだもん。
砂利道100キロぐらいで走ってんだよ。こっちは冷や冷やだったもん。
ザマーミロと心で思ってしまった。
でも連絡ぐらい入れろよ!とこのガイドの対応にはかなりむかついていた。

空港に到着し、小さなシェムリアップ空港で手続きをし
PG 949便 でカンボジアを後にしたのでした。
飛行機 夜
帰りも同じような飛行機。

バンコクに到着し、各種手続き。
今日のカンボジアのガイドは最悪だったね、バンコクは誰が迎えに来てるかな?
またサイさんだといいね、サイさん楽しいし、言葉のキャッチボールもちゃんとできるしね!
なんて話をしてたら、迎えは本当にサイさんだった。

サイさーん!!逢いたかったですよぉう!!!と我々大喜び。
サイさんとの会話を楽しみながら、今日のホテル。
このホテルは、この旅行の本来の工程上は泊まらない予定だった。
本来は今日飛行機に乗って、明日の早朝に日本に到着の予定だったが
飛行機のチケット取れずに、明日の早朝のチケットならあれば取れる、ということだったのでそれに変更してもらい、そのために用意した空港から近いホテルだった。
なので「早朝飛行機のために泊まるだけ」というホテルだったのだ。

にもかかわらず超豪華。
何このホテルはー!!
フロントから部屋から何からなにまで豪華!!
部屋もすごく広い。風呂なんてテレビがついてる!
すごいすごいすごーい!!と大喜び。ただ泊まるだけなのに、すごく勿体無い!!!
というのものあって、最終日の夜は3時までトランプしたりして盛り上がってしまった。

勿体無いなぁ、ここにもっと泊まりたいなぁ、明日は帰るだけかぁ、なんて思いながら、眠りについたのでした。

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