Natsume's Blog

日々思ったこと、感じたこと、徒然なるままに。 人生最後は笑ったもの勝ち。

 

 

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2007
06/28
四国旅行~香川・うどん~
先日四国旅行に行ってきました。

再び香川でうどんを食らう。


それでは、よーい、ドン!



彦江製麺所 かけ温(小) 130円
彦江
うまい!

なかむら うどん(小)冷 150円
なかむら
うまい!

長田 in 香の香 釜あげ(小)250円
長田
うまい!

谷川製麺所 うどん(小)冷 105円
谷川
うまい!

やまうちうどん ひやひや(小)200円
山内
うまい!

白川 かけうどん 冷 150円
白川
うまい!

小縣家 しょうゆうどん(小)冷 420円
おがた
うまい!

こんぴらうどん(工場店) かけうどん(小)冷 120円
こんぴら
うまい!

宮武うどん あつひや 230円
宮武
うまい!

白川(2回目)かけうどん 冷 あげトッピング 250円
白川2回目
うまい!

山田屋 ざるぶっかけ 530円 
山田屋
うまい!




食べすぎにはご注意を。
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2007
06/07
トルコ旅行記-まとめ
トルコの人は世界一と言っていいほど親日家である。

ブルーモスクやアヤソフィアといった有名な観光地には
トルコの小学生が遠足や修学旅行などでも来ている。
私たちを見ると「日本人?」よく話かけてきた。

「日本人だよ」そういうと、子供たちは嬉しそうに「一緒に写真撮って!」と言う。
集まる子供たち

遺跡でも声をかけられた。あっという間に子供があつまる。
名前を聞いて私が発音すると笑われた。トルコの発音は難しい。
ついでに私の名前の発音も難しいみたい。お互い笑いあう。

学生を乗せたバスの前を通ったときは、バスに乗っていた人総出で
バスの中から窓をガンガン叩いていた。
気付いて手を振ると、バスの中の人たちが嬉しそうに手を振り返してくれる。

バスに乗って信号で止まって、同じく信号待ちをしている隣の車をたまたまチラっとみると、車内に居る人総出で手を振ってくれる。

ホテルの朝食の時に声をかけてくれた女の子が
たまたまその日行き先がベルガマ観光と同じだったようで、遺跡のところで声をかけてきてくれた。
彼女は、友達の団体から抜けてきて、わざわざ走ってこちらまで来てくれた。
「今朝、ホテルの朝食のところで会ったよね!」とその一言を言うために。
子供たち

タクシーの休憩所みたいなところで、数人でチャイを飲んでるおじさんたちに声をかけられた。
トルコではどこでもチャイを飲めるような、小さな休憩所みたいなところがある。
「飲んで行きなよ!」声をかけられた。
普通は無料で飲める。少し疑った私たちはあえて「How much?」と聞いた。
「何言ってるんだよ!お金なんていらないよ!」そんな感じで言ってくれた。
とっても陽気なおじさんたちが、すぐにチャイを作ってくれる。

あっという間に温かいチャイを渡してくれた。
チャイは、どの5つ星ホテルで飲んだチャイよりも、一番美味しかった。

「美味しい!美味しい!GOOD!」
なんで「美味しい」ってトルコ語を覚えなかったんだろう、と思ったぐらいとっても美味しくて。
ちょっと疑った自分が恥ずかしかった。

あの味は忘れられない。

誰もが「日本人?日本人大好き!」言う。
それはウソ偽りなく、多分本当なんだと思う。そういうのって受け手のこっちの感じ方でなんとなくわかる。
土産売り場

同じアジアのカンボジアで受けた「日本人は金持ってるからダマしてやれ」という目でもない。
同じヨーロッパのフランスで受けた冷たい目線もない。

ここの視線は優しい。

トルコ人が世界一親日家なのには理由がある。
こんな話がある。(実際は長いのでかなり端折ります)

明治3年、台風で大荒れの海に一隻の船がいた。船は台風の荒波にもまれ、大爆発し座礁した。乗組員たちは深夜の海に投げ出された。助かった人々は必死にがけをよじ登り、息も絶え絶えで小さな灯台にたどり着いた。そこは和歌山県・大島という小さな村だった。
灯台守は、全身傷と血だらけの人を見て驚き、言葉も通じず、身振り手振りからこの人たちがトルコ人であること、他にも沢山の人が海に投げ出されたことを知る。船はトルコ軍艦であった。
村の人たちは総出で水兵たちの救出にあたった。大量の死者が海岸にあげられていく中、まだ息があるものに対し、励まし、治療し、奪われていく体温を必死に温めようと裸になって助かった水兵たちを温めた。
この船はエルトゥールル号といった。
助かった人たちは、村のお寺や小学校に収容された。当時は電気もガスも水道も電話もなく、食べ物も乏しいとても貧しい村だった。助かった69名の乗組員に、言葉も通じない村の人々は必死の介護をした。しかし蓄えがなくなり、最後に非常食として取っておいた鶏も全てトルコの人々に食べさせた。こうして助かった者たちは、一命を取り留めた。
そしてこの遭難の話は明治天皇の耳に届き、この村に医者と看護婦が派遣されてきたのである。さらに69名の乗組員たちは日本の軍艦に乗り、無事トルコへ帰ることができたという。


この話はトルコの教科書に載っている。トルコ人が親日家の理由はこれだけではないが、この話も大きく貢献しているという。

しかし、この話には後日談がある。

1985年、イラク・イラン戦争の真っ只中、サダム・フセインは「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発表した。当時イランには日本企業で働く日本人が数多く居た。空港に向かうも全ての飛行機が満席、日本政府の対応も遅れた。当時日本政府から依頼されたある日本の航空会社は、危険度が高いため断ったという。空港に押し寄せた日本人はパニックに陥った。
そこへトルコ航空が、残っていた日本人215名全員を乗せて、日本へと飛び立った。タイムリミットの1時間15分前だった。
なぜトルコ航空がきたのか、政府もマスコミもこのことを知らなかった。
後日、トルコ大使が次のように語った。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」




私は今までこの話を知らなかったことが、恥ずかしかった。
トルコに行く前に知れたことが、唯一の救いだった。

何も知らない日本人は、日本人を運んでくれたトルコ航空に対し「金目当てだ」とまで言ったという。
私はこんな話を教科書で読んだこともない。トルコの人は当たり前のように知っている。


幼い頃の教育が、その後の人間形成に大きくかかわってくることは言うまでもないと思う。
韓国や中国の反日感情だって、授業で日本が歴史的にどうかかわってきたか教えられてきた結果だと思う。
授業で教えられたことだって、どこまでが真実で、どこまでが誇張で、どこまでが偽造なのか、そんなのわからない。
だけど、真実は意外とシンプルだったりする。
「昔助けてくれたから、それのお礼ですよ」要するに、そういうことだ。


トルコは誰一人として、嫌な人が居なかった。
みんな陽気で、みんな優しくて、みんな楽しそうだった。
アイスのお兄さん


そういえば街全体も綺麗だった。
せっせと掃除をする人をよく見かけた。
遺跡や建物のまわりは、あちこちでチューリップが咲き誇っていた。
花と緑と青空が、それはそれは綺麗だった。

すごく単純だけど、今度トルコ人に会うことがあったら
トルコ人というだけで、すごく好印象になると思う。
笑顔で接すると思う。
私がトルコで体験したようなことを、今度は日本に居るトルコの人に同じように体験してほしいと思う。

単純かな。
でも、そういう思いって大事だよね。

真実や、人の感情って、意外とシンプルだったりするんだよ。

いいところだったなぁ、トルコ。


ホント、あったかい人ばっかりだったなぁ。

おもひで


2007
06/07
トルコ旅行記-8
5/4(金)

今日は一気に首都イスタンブールに移動するため、早朝出発。4時半起床となった。さすがに眠い。
ホテルで軽く朝食を食べ、バスはイスタンブールを目指す。

何度か休憩を挟みながら、さすがに早朝なのでバスでうとうとしつつ、しばらく走ると海が見えてきた。

久々のマルマラ海だ。人も多くなり、戻ってきたんだなぁと実感。
昼にイスタンブールに到着。
数日前にイスタンブールにきて、ここから旅が始まったばかりなのに、もう旅を終えようとしている。
なんとも寂しい。

イスタンブールはトルコのヨーロッパ側に位置する。
今までずっとアジア側で観光していた我々は、久々のイスタンブール。
大陸を繋ぐ橋には、アジアからヨーロッパに行く場合には「WELCOME TO EUROPE」
ヨーロッパからアジアの大陸に行く場合は「WELCOME TO ASIA」という看板がそれぞれ橋の最初にある。
ようこそヨーロッパ ようこそアジア
これはまさに2つの異なる大陸に異なるトルコだからある看板。

イスタンブールは渋滞していた。押し押しのスケジュールだったため、若干の心配がよぎる。
しかし渋滞は渋滞で、街がゆっくり見れてこちらは楽しい。
犬も信号待ち
なんだか犬も一緒に信号待ちをしているようで、ほほえましい。

今日はとにかく時間がない。
今日の目的「トプカピ宮殿」へ急いで入り、宝物館などをざっと見た。
見たいと思っていた86カラットのスプーン職人のダイヤモンドは見れてよかったけど
とにかく時間がなくて、駆け足だったのが残念。
トプカピ宮殿は半日ぐらいかけて、ゆっくり見たかった。
展示物は写真撮影不可なので、外だけ。
トプカピ宮殿 トプカピ宮殿2

宮殿内は、ブルーモスクと同じようにチューリップの花が沢山咲いていて、とても綺麗だった。
めずらしく、黒に近い紫のチューリップなんかも見た。
珍しい色のチューリップ

トプカピ宮殿後、トルコでの最後の食事。
最後はドネルケバブ。
ケバブ
味はちょっとイマイチでした。羊の臭みが強かったかな。

そしてそのまま空港へと向かったのでした。

今回の旅行では走行距離は3000キロを超えた。連日、とにかく走りまくった。
そのほとんどを運転してくれたシュクルとお別れ。
ずっとガイドで説明してくれたアティラともお別れ。
アシスタントのヤーシンともお別れ。皆本当にいい人だった。お別れはいつも寂しい。
3000キロを走破したバスは、いつも綺麗にお掃除してくれていた。
バス
快適なバスだった。

空港で最後にいくつかお土産を買い、飛行機は定刻通りトルコ-カタールへと出発しました。
帰りのカタールでのトランジットの時間は短かったため、今回はスムーズに
カタール-関空の飛行機に乗ることができました。
 
5/5(土)
空の上でいつの間にか日付が変わった。
長時間のフライト、早朝の起床、長旅、疲れがたまっていたが、飛行機では思ったほど眠れなかった。
関空に到着したとき、全員が「日本食が食べたい!」との意見。
そろって食べた「うどん」が美味しかったのなんのって。日本人だなぁとしみじみ思う。
添乗員さんともお別れの挨拶も済ませ、関空-羽田の飛行機へと乗る。

くたくたになりながら羽田に到着。
仲良くなったツアーの人達と最後のお別れをし、迎えに来てくれたお父さんの車に乗ってようやく自分の家へと到着したのでした。

こうして10日間のトルコ旅行は終了しました。
2007
06/04
トルコ旅行記-7
5/3(木)

5時30分起床。朝食のピザがその場で作ってくれるタイプで、とっても美味しかった。
朝食のピザ

今日もバスはまずはカッパドキアのビューポイントから。
昨日と違って、今日はまるでクリームのような岩を見ることができた。
クリームみたい つるつるしてそう
なんだかつるつるしていそう。

その後、トルコ石のお店へ。絨毯も陶器も興味はなかったけど、トルコ石は欲しい。
ちゃんとした正規店なので、値段もとっても高い。
が、やはり欲しかったので買ってしまった。
今まで行った海外の中で一番高い買い物だった。想像しているトルコ石とは少し違う、深い色のトルコ石。
とても気に入った。・・・から高い買い物だったけどヨシとしよう・・・・。

バスはボアズカレという村を目指す。
バスの窓から見える景色はすっかりのどかな風景になった。

昼食をはさみ、ボアズカレに到着。ここでは世界遺産・ハットゥシャシュ遺跡を見る。
通常のツアーではここはほとんど行かない場所なので、観光客も我々だけ。
なんだか独占できるのがいい感じ。

ハットゥシャシュは紀元前1800年頃アナトリアを支配したヒッタイト帝国の首都だったところだ。
ここは谷間や断崖、山の尾根などを利用して長さ6キロの城壁を巡らせていたという。
しかし、異民族の侵入を受け、紀元前1200年頃には滅んでしまった。
全てが紀元前の話。当然、今ではほとんど残っておらず、土台だけの状態になってしまっている。
ハットゥシャシュ ハットゥシャシュ2 ハットゥシャシュ3
当時は日干し煉瓦を使って城壁が作られたという。今では日干し煉瓦は残っていなかった。残念。

そしてすぐ近くにあるヤズルカヤ遺跡も見る。
ここはヒッタイト帝国の神々を祭る儀式が行われていたという。
しかしヒッタイトは、ここの神殿等が完成してから、わずか数十年で滅んだといわれている。
歴史の重みを感じる。
ヤズルカヤ ヤズルカヤ ヤズルカヤ3

今日も天気がよくてよかった。特に今日見た場所はすごく雰囲気がよくて、都会の喧騒を忘れ去れてくれる場所だった。

その後、バスはトルコの首都アンカラに向けて一気に走り出す。
のどかな景色から、段々と都会の景色に変わっていく。

何度か休憩後、アンカラに到着。
トルコでの夕食は今日で最後となる。
最後なので、私は普段はあまり飲まないビールを飲んだ。
ビール
これが飲みやすくて美味しかった。左にあるのはフレッシュジュース。これも絞りたて!って感じで美味しい。

トルコ最後の夜。ホテルを出て少し街を歩く。
アンカラは首都だけあってとても栄えていて、人もビルも多かった。

最後の夜かぁ・・・酔っ払いながら、お店で買ったアイスを食べながら少し感傷に浸ったりする。
明日の朝はものすごく早い。ホテルに戻り、トルコの最後の夜よ、オヤスミナサイ。
2007
06/03
トルコ旅行記-6
5/2(水)

5時45分起床。
朝日を見たかったが、朝は雲が多くて朝日がよく見えなかった。

外を見ると早朝のカッパドキアを見るために、気球が何個も飛んでいた。
気持ちよさそう・・・と窓の外を眺めながら思う。
気球

ホテルの朝食後、バスを出発。ホテルからすぐのカッパドキアのビューポイントへと向かう。
うわぁ・・すごい。この不思議な形は火山と風雨によってつくられたものらしい。まさに自然の驚異。
朝のカッパドキア 朝のカッパドキア2
実際にこの中には人が住んでいたり、レストランになったり、別荘になっているそうだ。

何個かビューポイントを行った後、絨毯工房へ。
トルコといえばトルコ絨毯が有名。
とってもとっても高価なものなので、とても買えないのでここでは目の保養。
絨毯を作っているところも見れたりして面白い。
絨毯を織る人

絨毯はサイズではなく、目の細かさと素材で決まる。
シルク素材で熟練のプロが2年かけて作った作品なんかは、わずか50センチぐらいのサイズでも、数百万したりする。
トルコ絨毯 トルコ絨毯2
色々見たけど、どれも細かくて綺麗だった。

その後、カイマルク地下都市へ。
ここはキリスト教徒がアラブ人の圧迫から逃れるために作った地下都市。こういった地下都市はカッパドキアにいくつもあるといわれている。
地下なので当然暗い。
地下都市 地下都市2
最高で4000~5000人が一度に住める設備があったらしい。すごいなぁ。

ここで昼食。今日は魚料理だった。
魚料理
しょうゆをかければまさに日本の味だった。

その後、カッパドキアと言えば、ここ!という、キノコ岩を見に行く。
ここは、まさに想像していたものが広がっていた。
カッパドキア カッパドキア2 カッパドキア3
ああ、すごい・・・。

この形は数億年前に起きた山の噴火や、その後の雨や風によって浸食され、このような形になるという。
そして上のカサのような部分はそのうち落ちてしまうらしい。
天気もよくて、青空に映える。
青空とカッパドキア 青空とカッパドキア2 青空とカッパドキア3

ラクダものんびりしているようだ。
ラクダとカッパドキア

自然って不思議だなぁ。

ここでずっと食べたいと思っていた伸びるトルコアイスを食べた。
トルコアイス
食べると思ったほどは伸びなかったけど、売ってるときのお兄さんのパフォーマンスでは面白いほど伸びていた。味は美味しかった。

その後、ギョレメ野外博物館へ。
カッパドキアは4世紀ごろから多くのキリスト教徒たちが共同生活を営んでいたが、ギョレメはその中心となった地。
ギョレメ博物館

当時の洞窟教会、修道院、その中に描かれているフレスコ画が沢山あった。(中は写真撮影禁止)
なんとなく、奈良の明日香村の壁画を思い出す。

その後、今度は陶器工場へ。ろくろを使って作るところを見た。職人技はさすが、と思う。
そして繊細な色づけ。細かい作業で気が遠くなりそうだ。
ろくろ 色付け

こちらも高価なものなので、見てるだけでした。いい陶器の見分け方を教えてもらった。
鳴らすと音が全然違った。ちょっとした収穫。

ホテルに戻る。少し時間があったので外に出てみることに。
しかしここは大きな道路が走っている以外、何もない・・。
と思ったら、羊追いみたいなおじさんを発見した。
夕日の時間と重なって、なんだかとても綺麗だった。
羊

ホテルで夕食そ済ませ、その後ベリーダンスを見に再びホテルを出る。
時間ぎりぎりにベリーダンスの会場のレストランに到着し、すぐにベリーダンスが始まる。
各国の人たちが見に来ていて、特に隣のトルコの人?の若い集団のテンションが高かったのが面白かった。
ベリーダンスも早すぎる腰の動きに圧倒されてしまった。
ベリーダンス

ここでトルコのお酒「ラク」を飲んでみたら、あまり美味しくなかった・・・。
しかし酔った人を見るのは違う意味で色々楽しかった。

今日は遅くなった。明日も早い。バスでホテルに戻り、オヤスミナサイ。


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