Natsume's Blog

日々思ったこと、感じたこと、徒然なるままに。 人生最後は笑ったもの勝ち。

 

 

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2006
02/06
タイ・カンボジア旅行記-9 ~カンボジアという国~
シェムリアップの街で喉が渇いたので、数少ないコンビニに入りジュースを買って外で飲んでいた。
そこで一人の少年が近づいてきた。黒く、砂埃まみれの少年だった。
少年は小さな声で何か言いながら我々に手を出した。
おそらく「お金をください」と言ったのであろう。私たちは無視をした。
ガイドから貰った紙に「お金はあげないでください。ほとんどが演技だからです」と書いてあったからだ。
それにあげていたらキリがない。
しかし少年はずっと小さな声で何か言いながら、差し出した手を引っ込めることはなかった。
私たちはジュースを飲み続けた。

ジュースが残り1本になり、それがふた口程度になったとき、誰かが「残りあげちゃおうか」
といい、残り少ないジュースを少年に渡した。
少年はうれしそうに、それを受け取った。大事に大事に少しだけ飲んだ。
とたんに少年の周りに、小さな子供が集まった。
多分、ちょっとづつまわし飲みをするのだろう。
少年は、笑顔だった。

ジュースを受け取った少年は、片足がなかった。

少年は片足を何で失ったのだろうか?
生まれつきなかったのか?
病気で失ったのか?
交通事故で失ったのか?

違う、答えはわかっている。

少年は地雷で片足を失ったのだ。


カンボジアに行きたかった理由はもちろんアンコールワットが見たかったから。
だけどそれ以外にも理由があった。

まだまだ発展途上の、何もかもが整備されてるとは言えないところに行きたかった。
体験しないといけないと思った。知らなければいけないと思った。
一日一日、過ぎていく時間は同じでも、普段の私の生活からは想像できないようなくらしをして、それが当たり前になってるところなんて沢山ある。
そういうところを、知りたかった。


シェムリアップの中心地の道は今日も元気だ。
鳴り止まないクラクション、古い日本車、爆走する車、窓のない車、4人乗りのバイク、ノーヘル、ナンバーなし、人が溢れるほど乗っているトラック、客を乗せるバイクタクシー、フルーツや食べ物を売る出店、客待ちするトゥクトゥク・・・
4人乗りしてます トゥクトゥク

まるで、戦後の日本のようだ。
ごちゃごちゃしてて、中途半端で、活気に満ちてて、パワフルだ。

「この道は日本の人たちからの寄付でできました。この道のおかげで、首都プノンペンまでの道のりが丸一日以上かかっていたのが、5時間で着くようになりました。雨季には道が水で沈んでしまって走行できませんでした。便利になりました。本当にありがとう」
ガイドの人はそういった。

舗装された道は快適だった。
私たちの税金がここに使われたと思うと、誇りに思った。うれしく思った。

しかし、少しシェムリアップから離れると、あっという間に舗装されている道は終わる。
シェムリアップから40キロ、クバルス・ピアン遺跡へ向かっているときだ。
人がたくさん

コンクリートの道が終わると、あっという間に砂埃に包まれる道になった。
まるでパリダカのような砂埃。車体はかなり揺れた。車内まで砂埃っぽくなった。
現地の人はこの砂埃の中、トラックの荷台に何人も乗って爆走していた。
砂埃ですれ違う人々の表情も良く見えなかった。

それでもここはまだ車が走る。ここはまだいいほう。
雨季になると沈む道がたくさんある。

それがカンボジアだ。

遺跡の説明中に必ず一度は出てくる「ポルポト時代に破壊されました」という言葉。
ガイドは口癖のように「本当に勿体無いです」と何度も言った。

本当は天井があったはずの、柱だけ残った遺跡たち。
柱だけの遺跡

首をスパッと切られた仏像たち。
首を斬られた遺跡

崩壊したままの遺跡たち。
崩壊した遺跡 内戦の爪跡
内戦の爪跡は、まだあちこちに色濃く残っている。

赤いラインより先は、地雷撤去が終わってないから、入るな、という印。
赤い印

ふいに、片足のないあの少年を思い出す。

有名な遺跡の前には、カンボジアの人が数人集まって民族楽器を使いながら音楽を奏でていた。
遺跡の前には必ずこういう人たちが居た。
彼らは全員男性で、そのほとんどが足を失っている人たちだった。
「昔は兵隊だったけど、地雷で足を失って、今はああやって観光客からお金を貰って生活してるんです」と説明された。
手に持っているものが、拳銃から楽器に変わった。失ったものは足だった。
彼らはニコリと笑いもせず、ただ楽器を演奏する。
そして演奏しながら観光客をじーっと見る。
観光客が通り過ぎると音楽をやめる。そして次の観光客を待つ。
貰ったお金で昼食を食べ、また演奏を始める。
そうやって毎日を過ごしている。昔はきっと内戦の最前線で戦っていたに違いない。

何度か、現地の人が暮らしている道を通った。
ここは電気もガスも通っていない。
地面から高い位置に作られた家は、家の下の部分は乾季は日陰となり、いい昼寝の場所となる。
カンボジアの家
しかし、雨季になるとあそこまで水が溜まるのだ。

車から降りると物売りの小さな少女たちが寄ってくる。
少女たちは世界中から来る観光客の顔を見るだけで国籍がわかる。
私は同じアジア系の顔にもかかわらず中国人にも、韓国人にも見られず、驚くほど流暢な日本語で「3個で1ドル」と言われた。
少女たちは母国語はもちろん、日本語、英語、多分韓国語や中国語も話すだろう。
私は6年間も英語を学んで、全然話せない。

少女たちは、まだ日本でいうと小学生低学年だ。
それなのに流暢に日本語や英語を話す。

それが、少女たちが生きていくために必要だから。

だけど、少女たちはきっと文字は読めない。
教育が受けられないからだ。
立ち入り禁止の看板の文字が読めなくて地雷を踏んでしまう子供が後を絶たない。

また、片足のないあの少年を思い出す。
彼は文字を読めたのだろうか?


この国は、ある世代の男性の人数が極端に少ない。
みんな、内戦で死んでいったから。

この国は、ある世代の人々はフランス語が話せる。
フランスの、植民地の時代があったからだ。

この国は、16歳までの子供なら誰でも無料で診断できる病院がある。
それが、必要な国だから。
でも、その病院にたどり着けない子供も、沢山いる。

この国はポルポト時代、一説によると200万人、国民の1/3に当たる人数が
大虐殺にあった。

みんな死んでいった。

ポルポト時代は今から20~30年前のこと。
決して、大昔の話なんかじゃない。
私が産声を上げたとき、この国は内戦の真っ只中だった。

私が病院のぬくもりのあるベットの上ですやすや眠っているときに
同じ日、同じ時間帯にカンボジアで生まれた子は、どんな境遇だったのだろう。

そこにベットはありましたか?
毛布、タオルはありましたか?
医療設備は整ってましたか?
医者は居ましたか?
ミルクはありましたか?

幸せでしたか?

今、生きていますか―?
空に向かって何を思う?


私は数パーセント確率で豊かな国に生まれた。
彼らは数十パーセントの確率で豊かとはいえない国に生まれた。

それだけ。たったそれだけのこと。

私の瞳は色んなものを見てきた。でも本当のものはまだ見てきていない。
だって今回、私は「旅行者」としてしか見てきてないから。
それでも、たくさんのことを見てきた。

ある街の少年。
彼の瞳には何が映っているのだろう。何を映し続けてきただろう。
その瞳は何を思う?


かわらないもの。人々を平等に照らしてくれるもの。
この美しい朝日が、カンボジアの空をこれからも照らし続けてくれますように。
願い

そう願わずにはいられない。
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