Natsume's Blog

日々思ったこと、感じたこと、徒然なるままに。 人生最後は笑ったもの勝ち。

 

 

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2007
06/07
トルコ旅行記-まとめ
トルコの人は世界一と言っていいほど親日家である。

ブルーモスクやアヤソフィアといった有名な観光地には
トルコの小学生が遠足や修学旅行などでも来ている。
私たちを見ると「日本人?」よく話かけてきた。

「日本人だよ」そういうと、子供たちは嬉しそうに「一緒に写真撮って!」と言う。
集まる子供たち

遺跡でも声をかけられた。あっという間に子供があつまる。
名前を聞いて私が発音すると笑われた。トルコの発音は難しい。
ついでに私の名前の発音も難しいみたい。お互い笑いあう。

学生を乗せたバスの前を通ったときは、バスに乗っていた人総出で
バスの中から窓をガンガン叩いていた。
気付いて手を振ると、バスの中の人たちが嬉しそうに手を振り返してくれる。

バスに乗って信号で止まって、同じく信号待ちをしている隣の車をたまたまチラっとみると、車内に居る人総出で手を振ってくれる。

ホテルの朝食の時に声をかけてくれた女の子が
たまたまその日行き先がベルガマ観光と同じだったようで、遺跡のところで声をかけてきてくれた。
彼女は、友達の団体から抜けてきて、わざわざ走ってこちらまで来てくれた。
「今朝、ホテルの朝食のところで会ったよね!」とその一言を言うために。
子供たち

タクシーの休憩所みたいなところで、数人でチャイを飲んでるおじさんたちに声をかけられた。
トルコではどこでもチャイを飲めるような、小さな休憩所みたいなところがある。
「飲んで行きなよ!」声をかけられた。
普通は無料で飲める。少し疑った私たちはあえて「How much?」と聞いた。
「何言ってるんだよ!お金なんていらないよ!」そんな感じで言ってくれた。
とっても陽気なおじさんたちが、すぐにチャイを作ってくれる。

あっという間に温かいチャイを渡してくれた。
チャイは、どの5つ星ホテルで飲んだチャイよりも、一番美味しかった。

「美味しい!美味しい!GOOD!」
なんで「美味しい」ってトルコ語を覚えなかったんだろう、と思ったぐらいとっても美味しくて。
ちょっと疑った自分が恥ずかしかった。

あの味は忘れられない。

誰もが「日本人?日本人大好き!」言う。
それはウソ偽りなく、多分本当なんだと思う。そういうのって受け手のこっちの感じ方でなんとなくわかる。
土産売り場

同じアジアのカンボジアで受けた「日本人は金持ってるからダマしてやれ」という目でもない。
同じヨーロッパのフランスで受けた冷たい目線もない。

ここの視線は優しい。

トルコ人が世界一親日家なのには理由がある。
こんな話がある。(実際は長いのでかなり端折ります)

明治3年、台風で大荒れの海に一隻の船がいた。船は台風の荒波にもまれ、大爆発し座礁した。乗組員たちは深夜の海に投げ出された。助かった人々は必死にがけをよじ登り、息も絶え絶えで小さな灯台にたどり着いた。そこは和歌山県・大島という小さな村だった。
灯台守は、全身傷と血だらけの人を見て驚き、言葉も通じず、身振り手振りからこの人たちがトルコ人であること、他にも沢山の人が海に投げ出されたことを知る。船はトルコ軍艦であった。
村の人たちは総出で水兵たちの救出にあたった。大量の死者が海岸にあげられていく中、まだ息があるものに対し、励まし、治療し、奪われていく体温を必死に温めようと裸になって助かった水兵たちを温めた。
この船はエルトゥールル号といった。
助かった人たちは、村のお寺や小学校に収容された。当時は電気もガスも水道も電話もなく、食べ物も乏しいとても貧しい村だった。助かった69名の乗組員に、言葉も通じない村の人々は必死の介護をした。しかし蓄えがなくなり、最後に非常食として取っておいた鶏も全てトルコの人々に食べさせた。こうして助かった者たちは、一命を取り留めた。
そしてこの遭難の話は明治天皇の耳に届き、この村に医者と看護婦が派遣されてきたのである。さらに69名の乗組員たちは日本の軍艦に乗り、無事トルコへ帰ることができたという。


この話はトルコの教科書に載っている。トルコ人が親日家の理由はこれだけではないが、この話も大きく貢献しているという。

しかし、この話には後日談がある。

1985年、イラク・イラン戦争の真っ只中、サダム・フセインは「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発表した。当時イランには日本企業で働く日本人が数多く居た。空港に向かうも全ての飛行機が満席、日本政府の対応も遅れた。当時日本政府から依頼されたある日本の航空会社は、危険度が高いため断ったという。空港に押し寄せた日本人はパニックに陥った。
そこへトルコ航空が、残っていた日本人215名全員を乗せて、日本へと飛び立った。タイムリミットの1時間15分前だった。
なぜトルコ航空がきたのか、政府もマスコミもこのことを知らなかった。
後日、トルコ大使が次のように語った。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」




私は今までこの話を知らなかったことが、恥ずかしかった。
トルコに行く前に知れたことが、唯一の救いだった。

何も知らない日本人は、日本人を運んでくれたトルコ航空に対し「金目当てだ」とまで言ったという。
私はこんな話を教科書で読んだこともない。トルコの人は当たり前のように知っている。


幼い頃の教育が、その後の人間形成に大きくかかわってくることは言うまでもないと思う。
韓国や中国の反日感情だって、授業で日本が歴史的にどうかかわってきたか教えられてきた結果だと思う。
授業で教えられたことだって、どこまでが真実で、どこまでが誇張で、どこまでが偽造なのか、そんなのわからない。
だけど、真実は意外とシンプルだったりする。
「昔助けてくれたから、それのお礼ですよ」要するに、そういうことだ。


トルコは誰一人として、嫌な人が居なかった。
みんな陽気で、みんな優しくて、みんな楽しそうだった。
アイスのお兄さん


そういえば街全体も綺麗だった。
せっせと掃除をする人をよく見かけた。
遺跡や建物のまわりは、あちこちでチューリップが咲き誇っていた。
花と緑と青空が、それはそれは綺麗だった。

すごく単純だけど、今度トルコ人に会うことがあったら
トルコ人というだけで、すごく好印象になると思う。
笑顔で接すると思う。
私がトルコで体験したようなことを、今度は日本に居るトルコの人に同じように体験してほしいと思う。

単純かな。
でも、そういう思いって大事だよね。

真実や、人の感情って、意外とシンプルだったりするんだよ。

いいところだったなぁ、トルコ。


ホント、あったかい人ばっかりだったなぁ。

おもひで


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Comment
近代史って大事ですよね。 
日本史や世界史の授業って
すんげぇ昔のことをこねくり回す割に
今を生きる上で知ってなきゃならない
ここ100年ぐらいのことってサラッと流しちゃうんですよね。

「徳育」なんて作るぐらいなら
トルコとのこの話とか
「命のビザ」の杉原千畝さんの話をした方が
いいと思うんだけどなぁ・・・なんて。
 
悲しい歴史の話じゃなくて、こんなにいい話なんだから双方が知っておくべき事実だと思うんですよね。
古い時代のことも大事だけど、近代史をもっとやれば、世界に目が向けられていいのになぁと思います。
 
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